蛍雪章

蛍雪章


  この蛍雪章の歴史は古く、大正末期にその端を発しています。
  創立当時は「中」の字だけでしたが、校名が宮城県古川中学校と改名された時(大正8年)に、「中」の字を稲穂の中に入れた校章(図1)になりました。
  昭和23年、宮城県古川高等学校と改められるに至り、蛍雪章(図2)が校章となりました。
  中国・晋の車胤が蛍の光で、また孫康が雪の明かりで書を読み、乏しきを憂えず、孜々として勉め励み、蛍雪の功空しからずという故事によるものです。1年間の皆勤者には、銅製6角形に蛍雪を表した襟章(図3)を授け、2年以上の皆勤者には純銀製の襟章を授けて、その功を讃えました。また、学友会功労賞も同じようにこの形が用いられており、本校卒業生にとってなじみ深いものです。